咳払い恐怖症とは?

人の咳や咳払いが、自分の行動、視線、存在、言葉が原因で、自分へのあてつけでやっていると思ってしまう神経症の一種です。
つまり対人恐怖症の一種です。
自分の視線のせいで、人が咳払いをしていると不安になったり、いらだちを覚えたり、落ち込むのならば、視線恐怖症(自己視線恐怖症)の一種でもあります。


自分と関係ないことなのに咳払いをされていたとしても、対人恐怖の人はそう思えません(第一証拠がないのだから)。
だから、人混みで疲労困憊になるわけです。
自分へのあてつけじゃないとはわかっているかも、「あの咳払いは当てつけじゃないか?」と疑念が生まれたら、もう苦しいです。
何を隠そう僕もその気持がよくわかります。


関係ないに違いないと思っても、どうしてもそう思えないもうひとりの自分がいました。
そして、確認しようと咳払いをした人間を見ると、視線がバチッとあってしまって「あ、やっぱり」と思ってしまい、その日はズドンと落ち込んでしまったりしました。
だから、咳払いをする人間に怒りを覚えたり、ムカついてムカついてそのはけ口をどこにも見いだせず、一人で悶々として、結局疲れ果ててしまう対人恐怖症そのものの症状でした。


舌打ち恐怖症とは?


これも咳払いと同じで、咳払い以上に舌打ち、あるいは舌打ちのような音を聞くだけで、ギクッとする症状です。
もし自分に対して舌打ちをしていたのならば、もう抹殺してやりたいぐらいに憎しみを覚えるか、自分自身に対して悲惨なほど嫌悪感を抱いてしまいます。
舌打ちは、咳払いと違って、なにかそいつがムカつくことがあってやるわけでして、その対象が自分の存在や視線だったとしたら、これほど恐怖心、憎悪、落ち込みをもたらすものはありません。
そして、舌打ちに似たような音「チッ!」をミミにするだけでも、ビクッとしてしまうようになります。


だから心が休まりません。
まさに対人恐怖症です。
だからひきこもっていたほうが絶対に楽ですし、しかしひきこもってばかりいたら、人間がいる場所がもっと苦手になっって、ストレスでメンタルがぼろぼろになっていきます。


もうこうなったら克服するしか生きる道はないです。
咳払い恐怖症、舌打ち恐怖症一つをとっても、一生悲惨な生き地獄を味わいながら生きていくなんて、対人恐怖症として生きていて何一ついいことなんてありません。


被害妄想? それとも本当に舌打ちされている? 咳払いされている?

舌打ち恐怖症や咳払い恐怖症は、被害妄想でその多くが実際に自分に向けられているわけではないのですが、100回のうち、たった1回自分への悪意のためにあてつけでされたと確信したら、対人恐怖症は更に悪化していきます。
そして、その被害妄想から、いつ人に咳払いや舌打ちをされるか、されたらどうしようという予期不安が強まり、異常な警戒心が芽生え、心が楽になることはありません。
神経が過敏にますますなりますし、その先悪化していったら、妄想の中でも自分が被害を受けているようになっていきます。

それは統合失調症になりうるということです。
実際に対人恐怖症は何も根本的な対策を取れないと、統合失調症になっていくという流れがあります。

また咳払い恐怖症や舌打ち恐怖症は、音へ非常に敏感になり、神経がむき出しのようになって打たれ弱くなります。

電話恐怖症(着信音恐怖症)と物音恐怖症 音って有無を言わさず心を折りますね!(物音や電話の着信音へも神経症が発症していく話。他の方のブログです)


対人恐怖症の人は音に敏感になる、ひきこもっても気持ちが休まらなくなる


雑音恐怖症や物音恐怖症や電話恐怖症(着信音恐怖症)などに悪化していきやすいです。
音そのものに非常に敏感になってしまうため、部屋にひきこもっていても心が休まらなくなります。


なぜ咳払いの音、舌打ちの音、物音に対して、異常なビクッとしてしまうのでしょうか?
それは神経が常にむき出しで、交感神経が圧倒的優位になっているからです。
戦闘状態になっているため、身体も非常に固く緊張しています。
すべてを受け流せず、音はダイレクトに有無を言わさず自分の中に入ってくるため、ちょっとした音でも大きくしてしまうんです。
ゆるみのない人生、リラックスを忘れた身体、つねに緊張して見を守ろうとする防衛本能の過剰なほどの防衛、そして過去のトラウマによって、音を無意識で受け流せず、全部を拾ってしまいます。


無意識から対人恐怖症を解決していかないと克服は難しいというのはそこにあります。
無意識からして(自分の顕在意識では気にしないと決めていても)非常に敏感になっているため、そうならざるを得ないルーツを辿っているため、その無意識の誤作動を治さなければいけません。

対人恐怖症に限らず、神経症的な状態に追い詰められたら、無意識、潜在意識、深層心理から解決していかなければ未来はないと僕は思います(実際にそれで克服できました)

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